小樽バプテスト教会
3月22日 宣教
「父なる神への確かな信頼」
イエス様のゲッセマネの祈りは数多くの事を教えています。祈りの真実は、何か、祈りの勝利は何かを教えています。イエス様の「主の祈り」の教えがそのような模範を示しています。イエス様は弟子たちから、祈りの教えて欲しいと言われた時、イエス様は祈りを教えました、マタイ6章9節から、その祈りが書かれています。これは私たちが「主の祈り」として、いつも祈っている内容が次のように書かれています。「天におられる私たちの父よ、御名が崇められ、御国(神の支配が全て及ぶところ)が来ますように、御心が行われますように。この事が天で行われますように地の上にも行われますように、そのような祈ることをイエス様は教えになったのです。
イエス様はゲッセマネの園における祈りで、このように祈ったのです。「アッパ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を取りのけて下さい。しかし、私が願う事ではなく、御心にかなう事が行われますように。」と祈られたのです。この祈りの最後の言葉「しかし私が願う事ではなく、御心にかなう事が行われますように。」この言葉に。、祈りの真実が秘められています。
イエス様は「この苦き杯を私から取りのけて下さい。」と自分の本音を父なる神に告げました。しかし、自分の本音に固辞しませんでした。自分の本音から手を離し、父なる神の御手に委ね、父なる神の御心のままにしてください。」と祈った。
祈りは自分の願い、それは自分の願望に基づく、自分自身の求めであり、祈りであります。言うならば神のみ旨による祈りよりも、その人の本音から出る祈りです。その祈りが聞かれないと、神の存在や神の力をも否定してします事がある。私たち、本音で祈り喜び、祈りの真実、祈りの勝利があるのです。イエス様は自分の救いの為に、苦き杯を取りのけて下さいと求めたが、全人類の救いの為に、父なる神の御心にすべてを委ねました。ここにイエス様の祈りの勝利があり、神の栄光を表す結果を生んだのです。祈りの恵みは、祈ったことを求めとその実は違っていても喜べる所にあります。
ここにある兵士の祈り「私の願い」があります。これは作者不詳、ニューヨークのとある病院の壁に貼ってあったものと言われています。
私の願い~ある兵士の祈り~
成功するために神に祈りましたが、与えられたのは、謙虚さでした。ー従うことを学ぶために
善行をするために健康を願いましたが、与えられたのは病気でした。-より善い行いをするように
幸せになるために富を願いましたが、与えられたのは貧しさでした。ー賢くなるために
人から尊敬されるための能力を願いましたが、与えられたのは弱さでした。-神を必要とするために
この作者の祈りは、祈りと結果は違っていても、全て主の恵みとして受け止めています。私たちも現実の生活に照らしだして、祈りを吟味できたら幸いです。